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『亜莉子とボブ』釈伴州

注釈だけで構成された小説というアイデアが浮んだときに、自分ではそんなもの書くことなんてできないだろうなあと思いながらも、試してもいないのにあきらめてしまうのもなんだかちょっと悔しい気もしたので実際に書いてみようと四苦八苦したことがあったが、そのときに別のアイデアが浮んだ。
それは国語辞典の形式の小説というものだった。
言葉とその言葉の意味、そしてその言葉を使った用例をセットとして、用例の部分が小説になっている、というものだ。これだったら注釈のみの小説よりも少しは楽に書くことができそうな気もしたが、まずは注釈だけの小説のほうに力を注ごうと思い、アイデアだけにとどめておいた。それに僕が知らないだけですでにそういう小説が書かれていそうな感じもしたからだ。
注釈だけの小説が一段落したあと、国語辞典の小説というものが実際に存在するかネットで検索してみたところ、残念なことにそういう小説はみつからない。そこで本に関して僕の師匠、というか僕が勝手に師匠と心の中で呼んでいる知人に聞いてみることにした。とりあえずAさんとしておこう。Aさんはパソコンもネットも使うがSNS嫌いなので勝手にその名前を出すわけにもいかない。
そのAさんに聞いてみたところ、国語辞典の形式の小説が実際に存在していてしかもその本をAさんが持っているということがわかった。

『亜莉子とボブ』釈伴州


『亜莉子とボブ』釈伴州

表紙は残念ながらAさんが手に入れたときには無かったそうだ。なのでどんな表紙だったのかはわからない。
釈伴州という作者も寡聞にして聞いたことがない。出版社も僕が知らない出版社で、Aさんに聞いてみたところ、郷土史を主に出版していた地方の小さな出版社らしかった。らしかったというのはその出版社はバブルがはじけた1990年代初めのころに倒産していてもう存在しないからだ。
そこからちょっといろいろとあったけれども、それはさておいてちょっと無理言ってAさんから借りて読んでみたところ、たしかに国語辞典の形式で物語となっていたけれどもそれは僕の想像を超えているものだった。
まず、最初。

亜【あ】つ(次)ぐ。準じる。第二番目。
 <用例>亜莉子がキャロルから連絡を受けたのは午後1時を過ぎていた。空は


で始まる。
「亜莉子がキャロルから連絡を受けたのは午後1時を過ぎていた。空は」の部分が用例だが「空は」と中途半端な文章で終わっている。
そして次の言葉は

蛙【あ】1.かえる。かわず。「井蛙」 2.みだら。下品。


となっていて用例がないのだ。文章が続いていない。これは小説にもなっていないじゃないかとAさんに文句を言おうとするとAさんはにやにや笑いながら「空」の言葉をしらべてみな、と言った。
まさか、と思いながら「空」の部分を引いてみると、

空【そら】晴雨などの、天空のようす。天候。空模様。
 <用例>空は今にも降り出しそうな雨雲が広がっていた。これから出かけるのはいやだなと亜莉子が思っていると、待ち構えたかのように雨が


と文章が続いている。次の文章を読むためには最後の言葉が載っているページを探してその言葉の用例を読まなければならないのだ。昔ブームになったゲームブックのような形式になっているのである。
ゲームブックの場合は物語が何百ものパラグラフに分断されてバラバラに配置され、それぞれのパラグラフの終わりに次のパラグラフの番号が示されているので、読者はその指示に従って次のパラグラフの番号を探して読む。たまに物語の選択肢が現れて、複数のパラグラフ番号のうちどちらかを選択しなければいけなくなるのだが、こうして物語が分岐していく。なので一回読んだだけではすべての物語を読むことはできない。
この本の場合はパラグラフ番号の代わりに文章の終わりの言葉が次の文章の飛び先になっている。正直言ってめんどくさい。しかも物語の分岐もあるのだ。

蛙【あ】1.かえる。かわず。「井蛙」 2.みだら。下品。


が分岐となる選択肢で「かえる」か「みだら」のどちらの意味を選ぶかことで物語が分岐していくのである。
そんなところまでゲームブックを真似しなくてもいいだろうと思うのだが、しかしこの分岐というのは物語の内容と密接に関係しているのでしかたがない。
『亜莉子とボブ』釈伴州



物語は亜莉子が親友のキャロルから連絡を受けて出かけるところから始まるが、その一方でボブの物語が同時進行する。ボブは亜莉子の恋人で量子力学による量子テレポートの実験を行っている物理学者だ。そしてなにやら画期的な発見をするらしいのだが、そこにボブの元恋人イブが復縁を迫ってくるというよくわからない展開を見せる。亜莉子は亜莉子で親友だと思っていたキャロルの裏切りによってマチルダという人物に多額の借金をするはめになってしまい、窮地に陥ってしまう。
ボブの発見したのは量子テレポートがタイムトラベルに応用できるという現象で、ボブは亜莉子の窮地を救うために過去にタイムトラベルをしようと試みる。そこに謎の男、マロリーが絡んでくる一方でウォルターという人物の視点の物語も並列で進んでいく。ウォルターはなにやらボブの行動を見張っているようなのである。
量子テレポートがどうしてタイムトラベルに結びつくのかという部分がちょっとおもしろくて、量子力学の観測問題が関係する。
シュレーディンガーの猫という思考実験があって、これは箱の中にいる猫が生きているのか死んでいるのかは箱を開けてみるまでは確定おらず、箱の中にいるのは生きていると同時に死んでいる状態の猫だというものなんだけれど、この物語でも現実の世界は多数の可能性に満ちていて、それが固定されているのは観測されているからだとして、この世界をいったん未観測の状態にしてしまいそこから任意の世界を観測してしまうということを行う。そして多数の可能性のある世界は常に同じ時間であるわけではないということで、ようするに現在と全く同じ歴史でありながら時間だけが任意の時間だけ前後している世界を観測することでタイムトラベルを行ったのと同じ結果が得るのだ。
なので多数の世界から一つの世界を選択するという行為が先に書いた選択肢に結びついている。
と、まあここまでならばよくこんなこと書いたなあと思うレベルなのだが、実はこの本の後ろの部分は辞典になっていなくてなんと年表がついている。
ここまで書くとひょっとして、と思う人もいるかもしれないが、この年表はボブがタイムトラベルしたことによる歴史の変化が書かれている。というかボブが過去に戻る場面ではこの年表の部分に跳ぶばなければならない。年表の部分には物語が書かれていて、たとえばボブが4日前にタイムトラベルをする場合はこの年表の4日前の部分を読むのである。
今までいろいろなタイムトラベルの小説を読んできたけれども、年表の形式で実際にタイムチャートを読むような感覚で読む物語というのはこれが初めてだった。
しかもこの年表、世界1、世界2と合計で13の年表がある。タイムパラドックスの回避は多世界解釈によって行われているのでこれだけの分岐された世界が発生するということを意味している。
タイムパラドックス物としてはオーソドックスな話なのでそれほど新味はないけれども、この世界というものを情報として扱って、その情報を改ざんすることによって現実を改ざんすることができる。そして現実が改ざん困難なのはその情報が堅牢な暗号プロトコルによって暗号化されているからだという概念はちょっとおもしろい。



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