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息を吐くように嘘を吐く

この世の中で最も面白いエッセイを書く人を3人挙げよと言われたら岸本佐知子と池上永一は真っ先に挙げる。で、あと一人はどうするかというところで随分と迷うのだが、とりあえず残りの一人に関しては今は挙げる必要もないので空席にしておく。

世の中には息を吐くように嘘を吐く人がいる。

岸本佐知子も池上永一も嘘つきだというつもりはないが、二人のエッセイを読むと、「世の中には息を吐くように嘘を吐く人がいる」という言葉が何故か頭に浮かんでしまう。
そもそもエッセイとはなんぞやという問題がある。いや誰も問題になどしてはいないのかもしれないが、エッセイは真実を書かなければいけないのか、つまりエッセイはフィクションではなくノンフィクションでなければいけないのか、二人のエッセイを読むとそんな疑問が頭に浮かんでくる。
いや、二人の書くものはエッセイではなくフィクション、創作物なのだというふうに割り切れることができればいいのだが、岸本佐知子は『ねにもつタイプ』で講談社エッセイ賞受賞してしまっているのでエッセイなのだ。で、岸本佐知子の書いているものがエッセイだとすれば池上永一の『やどかりとペットボトル』だってエッセイなのである。
そうなると二人とも嘘つきだとは言いたくはないが、世の中には息を吐くように嘘を吐く人がいる。と言いたくなる。
たとえば、『なんらかの事情』所収の「才能」というエッセイでは、自分にはレジに並ぶ際に一番遅くなる列に並んでしまう才能があると岸本佐知子は書く。
並んでいる人数やその人達の買い物カゴの中身の量などをチェックして一番早く進むと思われる列に並ぶのだが、そのレジの店員が研修生だったり、前の客が精算時に時間のかかる商品券を出したり、あるいは買った品物の賞味期限のことを店員に尋ねたり等、何かしらの遅くなる原因が発生して他の列では自分より後に並んだ人たちが、自分より先に精算を終えて店から出て行く様を見続けるという話だ。たしかにここまでならば多少の言い回しの誇張はあるかもしれないが全くの嘘とは言いきれない。
一番遅い列に並んでしまうのも一つの才能だといえば才能なのだが、このエッセイの最後の文章はこうである。

万雷の拍手はわきおこり、どこか知らない世界のスタジアムで私が金メダルを授与される。


どうみても嘘である。
レジで一番遅い列に必ず並んでしまう才能があったとしても、何処か知らない世界でその才能に対して金メダルが授与されるとこなどありえない。
しかし、このエッセイはこの最後の嘘がなければ面白さは半減してしまう。

彼らのように、息を吐くように嘘を吐くことができるのであれば僕もこのブログで同じようなことをしたいと思っているのだが残念なことにそういう才能は持ちあわせてはいない。






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